olympus E-500 Zuiko Digital 14-45mm
RawをApertureにてモノクロ化
現代に生きる我々には、デジタルデータであったり紙媒体であったりと物事を記録する方法についていくつもの選択肢がある。ではいかなる手段によることが、情報を出来る限り長く後世まで残すことが出来るのか。
以前、写真の保存性の項で少し検討したが、今回はまた違った視点、「写真以外の物も含めた上で人が管理しない場合」に焦点を当てて考えてみたいと思う。
これは純粋に記憶媒体の物理的耐久性の問題に直結する。人は物事を記録する際に何がしかの物体にこれを焼き付けるという方法を採るわけであるが、当然この物体の特性によってその耐久性が異なる。
そしてその特性は、シンプルなものほど残り易いということが出来そうである。つまり機械を見てみるとわかるが、複雑な機械になるほど故障の発生率も増加し、また故障した際の修理も困難になる。
となれば、仮に今この瞬間に人類が滅亡したとして真っ先に呼び出せなくなる媒体は一群のデジタルデータであるといえよう。
デジタルデータはそもそもが人間の目からは判別できない0と1による信号で構成され、これを読むための装置を必要とする。またDVDやMOなどの単純なディスク媒体ならまだしも、HDなどはそれ自体にドライブとしての仕組みを有している。
このようにデジタルデータは記録媒体の他にそれを再生するシステム全体で生き残っていることが保存ために必要な要件であり、これは絶えず機器類を適切な状態に保つ人の存在が不可欠となる。
ではアナログデータはどうか?
これはより単純に、「シンプルなものほど生き残る」と言える。
例えばフィルムはポリエステル上に残された銀の粒子による画像だが、画像というからには経年劣化やカビの発生によって細部がぼやけ始め、やがて何が写っているのか分からなくなる時が必ずやってくる。
そこに焼き付けられた情報が、画像という細かな再現を必要とするものであるが故、もう少しシンプルな情報である文字や記号などよりも再現不能となるまでの期間は短くなってしまうことが予想される。
更に事を写真などの画像ではなく、他の情報にまで広げてみよう。これによって記録媒体の選択肢を広げる事はできる。つまり文字情報であれば紙に書きつけるという方法も採れる訳だが、この場合には紙自体とそこに書きつけられたインクという二者の耐久性を考慮する必要がある。
とはいえ、フィルムほど神経質にならなくても良さそうである。古代のパピルスから始まり羊皮紙を経て近現代の紙にいたるまで、雨風にさらされなければ数百年は生き残ることがわかっている。インクも炭素系のものや鉛筆を使えばかなりの年数持つ。炭素と言うのは比較的安定した化学的特性を持っているのためである。
ただしこれには条件がある。紙が風雨に晒されず、また過度に乾燥したりもなく、当然焼失したりの災害からも守られている必要がある。しかしこれにしても、先に見たデジタル機器よりは簡単な話だろう。単に頑丈な建物や容れものを用意すればよい。当然、当該建物やら容れものの耐久性がまた更に文段となろうが、石の建築が木の繊維でできた紙よりももろいとは言えないのではないかな?
では更に条件を過酷にして、雨風に晒され、それでも何千年・何万年と情報を維持することの出来る媒体はないものか?
あるにはある。物体に直接刻みつけるという方法がそれである。
とはいえこの方法は刻みつけるべき物体の化学的特性を理解していなければならない。例えば金属は駄目だ。多かれ少なかれ腐食する。
結論から言えば自然界に最初から存在する物体、つまり石を選ぶべきだろう。その中でも特に摩擦に強い種類のものを選んで刻みつければよい。古代の遺跡を見るとわかるが、数千年を経ていまだに文字を読むことが出来る。
とはいえ、これにしたって完璧な記録方法とは言えない。地球上には生物が存在している以上、常にその侵食を受けるからだ。我々の住む街だって、整備されなければ数十年で植物に埋もれ、数百年すればそこに街があった痕跡そのものが消滅するだろう。
また火山など大規模な地殻変動による極端な熱に晒されたり、あるいは流水の中に長期間晒されるなどをしても、石に刻まれた情報が融解あるいは摩耗し消滅する。
つまり一番信頼できる石に文字を刻み込むという方法にしても、周囲の環境によって保存が左右される事には代わりはなく、単にこの方法が他の手段よりもより過酷な環境に耐えうるというだけの程度問題でしかないことがわかる。
この世界に不変のものが存在しない以上、人間もやがては必ず滅びる時がやってくる。
最も原始的な、石に刻みつけた文章だけが残るとしたら、今のうちに現代の技術をいくつかでも良いのでこの形で残しておくべきのような気がする。数式であったり、単純なプログラムを01で書き連ねるのもよいだろう(これは流石に無理か(;´∀`))。
何かしらが残ってさえいれば、そこにそれなりの知的生命体が存在した証拠になるだろう。
あとは仮に見つけるヤツが出てきたとして、ソイツの想像力にお任せする。
えらく遠い話のように思える。しかし人という存在がいずれ必ず居なくなるというのは、おそらく事実だ。
毎日こんなことを考える必要はないけれど、たまにはこういったことに思いを巡らせてみるのもよいかな、と思った次第なのである。
以上、今宵のお話はこれまで。