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2011年3月21日月曜日

旅の重さ。


We knew the world would not be the same.
A few people laughed, 
a few people cried,
 most people were silent.
I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita.


Vishnu is trying to persuade the Prince that he should do his duty and to impress him takes on his multi-armed form and says, "Now I am become Death, the destroyer of worlds."   
  
J. Robert Oppenheimer

   


 数年前、ふらっとバイクで旅に出てみました。それまで北海道までは行ったことあったけど西日本はまるで未踏だったので、せめて学生の内に見ておこうと。横須賀から西へ西へとひた走り、最終的に九州最南端の佐多岬へと到達するまで、全て自走してみました。
 
 広島はその旅の目的地のひとつ。
 もちろん原爆博物館も見てきましたよ。オッペンハイマーが晩年まで苦しみ嘆いた如く、如何なる言葉をも圧倒する「破壊」という事実そのものがそこにはありました。
 
 でも最後に小さな白い花の写真が飾られていました。爆心地の近くで戦後間もなくの内に撮影されたという写真。「50年は草木も生えぬ」と嘆かれた広島に花が咲いた、撮ったヤツは嬉しくてしょうがなかったんでしょうね。そこらに生えている雑草みたいな花ですが、まるで宝物みたいに。
 そのまま歩くと窓が大きく開けていて、広島の街が一望できます。現代の主要都市のひとつとして栄える巨大な街です。
 「見て見て!あの一輪の花がここまで大きくなったよ!俺たち人間はこんなに強い!!」と誇らしげに笑いかけてくるようで。
 それがただただ、嬉しかった。

2011年3月19日土曜日

日本が静止した日



震災から1週間が経過し、関東では少しずつ平常に戻りつつある。
本来的にこの国の流通システムは非常に優秀で、震災から2日も経てば筆者の住む横須賀でも多くの食料が再度流通し始める。

しかしそれでも店の開店直前には毎日のように長蛇の列が形成される。
何故皆ここまでするのだろうか。もちろん平時に比べれば商品の数も種類も少ないが、少なくとも自分たちが飢えて死ぬようなことにはならないことは、ニュースや新聞を見ても明らかであるのに。
毎日見ていると、真っ先になくなっているのは決まって牛乳、納豆、卵の三品。カップラーメンもまだ欠品している棚が目立つ。これらは入荷すると同時に人が群がり、あっという間に欠品する。
そして不思議なことに、韓国の辛ラーメンやベトナムのフォーは大量に残っていたりする。美味しいのに(;´∀`)、、、これらはつまり、辛いとか口に合わないとかの理由によるところが大きいのだろう。

災害時においても自らの嗜好を反映させるあたり、「文化」と呼ぶべきか「考えが甘過ぎる」と評価するべきか非常に悩むところである。単に物資の不足が極限的な状況にないためということもできよう。
しかし仮にこれを「文化」と評して肯定的に受け取ったとしても、その文化とやらを守るために買占めが発生するのであるならば、さすがにそれまで肯定的に見ることは出来ない。

ガソリンにしろ食料にしろ、自らの需要を遥かに超える備蓄をするとなればそれは同時に他者の取り分を横取りするということにほかならない。
「他の人が手に入れる前に自分が手に入れよう、他の人が困っていても自分は困らないようにしよう」という理念が買占めの根底に存在するとすれば、これはすなわちホッブズの言う「自然状態」=「万人の万人に対する狼」と何ら変わるところがない。
つまりそのような状態は既に「文化的」とは到底言えないということだ。

常に、高潔たれ。

・・・・あ〜、、、でもそろそろ俺も納豆食べてぇなぁ。あの列に加わるのは嫌なので、落ち着くまで我慢我慢(;´∀`)。。。

2011年3月18日金曜日

エネルギー保存の法則の明確な否定。

あなたの部屋の電気を消せば、あなたの部屋は暗くなる。
そのぶん何処か遠くで明かりがともる。
そしてあなたの中には、それと同じくらい大きな明かりが灯る。

さて、まずはこのパソコンの電源を落とそうか。

2011年3月9日水曜日

ありったけの情熱をもって、革命家の夢を。

COHIBAキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
年齢制限があるとはいえ、煙草だってお酒やお茶と同じく立派な文化だ。何百年と受け継がれ、洗練されて今に至る。

その文化的背景に目をやらぬまま嫌煙ムードに圧されて消え去ってしまうとすれば、それはひとつの文化の否定であり、侮辱とすらと言える。
それはとても悲しいことだ。

2011年3月1日火曜日

妥協 ≠ 芸術

愛情は顕示欲を伴う
いや別に、恋愛感情を広く吐露することを否定するつもりはない。過去の芸術作品においてもたった一人の女性のために作られたものや、それは公表すべきではないのではとハラハラする作品もある。
私はそれらの素晴らしさを否定するものではないし、むしろそういった自分勝手さは大好きな方だ。

しかしそれらが芸術と呼ばれるものに昇華するためには、他者にどれだけ否定されようとも自分こそが正しいという絶対的な自信によって裏付けられ、またそれを見る他者が納得せざるを得ないような絶対無比な技術を持って表現されなければならない。そして同時に、そのための表現は妥協されてはならない。

本当はもっと上手く描けるのに時間がなくて、或いは他の人に見つかるのが怖くて早く書き上げたものなど妥協の産物としか言えず、それはもはや芸術とは言えない。それは単なる自己顕示欲の発露と呼ぶべきだろう。
妥協した愛を受けて喜ぶ女性など居ない。