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Doc,1 写真の保存方法についてのtips









 はじめに
 自分の撮った写真を数十年後、あるいは数百年後にも残したいというのはカメラマンなら誰しも一度は考える事であると思う。え、俺だけ?
これを考えるについて、まずは現在の主流であるデジカメを筆頭におくのが適切かな。
 デジタルによって記録されたデータというのは劣化をする事がない(jpegをレタッチ繰り返したりというのは別の問題として)。なので本来デジタルデータで写真を残していくのがベストであるように思える。実際俺も撮ったフィルムをスキャンしてデジタル化し、フィルムが滅失した時の保険としているわけだしね。
 写真データを如何にして保存するか?という問題については、ネット上にそれこそ星の数ほどの記事を見掛けるが、あまりにも錯綜している部分もあるので、これにフィルムまで含めた形で考え、何度かに分けて考察してみたいと思うが、今日はその第一回目。興味のある方はぜひお付き合いください。

「保存」の定義
 では早速考えてみよう。
そもそも「保存性」とは何であるか。何をもって「保存できた」とするか。
事を簡単にするために、これは過去に撮った画像を単に「見られれば良い」という事と考えてみよう。
この場合、デジタル・データにはよく言われるようにいくつかの考えなくてはならないファクターが存在する。すなわち、
① フォーマットの問題
② メディア自体の存在可能性の問題
③ 記憶媒体の物理的耐久性の問題
ということになる。




①フォーマットの問題
A, jpegについて
 フォーマットの問題、これはつまり今現在において再生可能な規格が、数十年後或いは数百年後においても現在と同じように汎用性を持って普及しているか否かという事なのだが、これについてまずはjpegから話を始めるのが適切であると思う。

 現在、写真に限らず画像保存の主流となっているのはjpegという規格だけれど、こいつの正式名称はJoint Photographic Experts Groupeという、80年代の写真家達がデジタル形式で自らの作品を残そうとしたときに考え出したフォーマットだ。
 当時のパソコンは今みたいにHDの容量も大きくなかったために、データは小さければ小さいほど良いと考えられてきた。なので写真についても高圧縮して如何に小さいデータとして納めるか?を前提に策定された規格だということになる。
 ところがたかだか20年とちょっとでコンピュータ技術は格段の進歩を遂げ、今や数TBなんてHDすら安く手に入る。こんな世の中においては、わざわざ画像を圧縮する必要性自体が無くなってくる。
 とはいえネットにアップするという目的においてはまた別だね。閲覧する人がダウンロードするデータは小さい方がよいという考え方は、各家庭におけるインフラがどれだけ発展してもこの先もずっと変わらないだろう。ダウンロードは速いに越したことはないからね。
 但しこれにも落とし穴がある。現在のjpegより高画質且つ高圧縮なフォーマットが出現した日には、あっという間にjpegが駆逐されてしまうおそれもあるということだ。
 こうなるとjpegという規格について、「あ〜、そういえばそんな拡張子がついてたな〜。〜年くらい前までは」「なつかし〜♪今見られるのかね〜」という事にもなりかねない。


 とどのつまり、現在主流になっているフォーマットが将来においても主流であるとは誰にも言い切れないわけで、仮に新しいフォーマットが主流となった場合には過去の写真データを新しい形式にコンバートする必要が出てくるかも知れない、ということだ。


B, RAWについて
 もうひとつ考えねばならないのは各社デジカメが採用しているRAWフォーマット。これは各カメラにおいて全てフォーマットが異なる上に、ソフト側のアップデートを待たねばそもそも現像できないときたもんだ。
となるとメーカー側で対応を打ち切られてしまったらそれまでということにもなりかねない訳で、これを回避するには少なくとも「各社について一つ」くらいにRAWを統一して欲しいところだ。
 adobeが提唱しているDNG(デジタルネガティブ)というオープン規格のRAWも存在するけど、今のところ主要なカメラメーカーにはそっぽを向かれている状態。
 良いと思うのだけれどね、DNG。これに反対するメーカー曰く「色調などに於ける我が社のオリジナリティが失われる」のだそうだけれど、そもそもデータが見られなくなったら元も子もないだろうと思う。
 画像が汚くなろうがオリジナルの色調が薄れようが、まずメーカー各社には自分たちのカメラで撮られた写真について「いつまででも見ることが出来る」という点を保証することを、最重要課題として考えていって欲しい。
 


②メディアの存在可能性


 さてこの「存在可能性」ってのは何か?他に良い言い回しが無かったのでこういう言い方になったのだけれど、要するに再生機器の問題なのね。
 じゃぁなんで「再生機器について」としなかったかというと、仮に再生機器が存在しても接続できなければ意味ないわけで、そういった周辺機器との連携を全て踏まえた上で初めて「そのメディアが生きているか?」を判断出来るのだと思う。

 具体的なところをあげれば、例えばフロッピーディスク。かつてはコンピューター界を席巻し、ワープロにも積まれていたメディアな訳だけれど、今はむしろこれを読み取れるパソコン自体が少ない。「外付けがあるじゃん」という意見も聞こえるけど、我が家には外付けですら何ともならないフロッピーがあったりするのね。そう5インチフロッピー。こないだ外付けで売ってるを見掛けたけど、USB接続でもない。どうするのよ、これf(^ー^;
 他にもLDとか、カセットテープとか枚挙にいとまはない。MDもそのうち無くなりそうだね。

 とはいえ前項のフォーマットに対して、こちらの問題は比較的簡単に解決できる。すなわちデジタルデータというのは完全な複製が可能であるわけだから、異なるメディアに同じデータを重複して保存しておけばいい。現代的な方法論としては、HDDとDVDと、場合によってはBD。更にお金のある人はオンラインストレージを契約してネット上にセーブ。
 4系統も保存すれば、まぁ安心といったところかな。そういう行為を忘れずにするのがめんどくさくなければ。←これ意外と重要。
 



③記憶媒体の物理的耐久性
 これは端的に言えば「そのDVD、100年経っても読めるの?」という問題。つまり記録されているデータはデジタルであろうとも、記録している媒体そのものは必ず劣化していくわけで、その程度がどのくらいまで進行すると記録されているデータを読み出すことが不可能になるか?ということなのね。
 これについてかつてDVDなんぞは「100年大丈夫ですっ!」ってメーカーが豪語していたのだけれども、実際に出回ってから10年もたつとだんだんと読み出しエラーを起こすディスクが出現しつつある。科学がこんなに発展しても湿気とか紫外線とかの自然現象は依然として脅威として我々の前に立ちはだかっている訳だね〜(しみじみ)。
 ついでにいうと、HDなんかだとDVDと違って機械的な仕組みがある分、耐久性という点では脆い。「シンプルな物ほど壊れにくい」というのは真実だよ。それこそ何らかの情報を本当に後世に伝えるためにもっとも確実な手段は石版に刻みつけることだろうね(次回にでも後述)。

 とはいえまさか0と1を石版に刻み込んで後生大事にしまい込むわけにいかないから、DVDやHDの出番になる。
で、実際にメディアの物理的な劣化に対抗する手段は二つ。
すなわち
1,信頼性の高いディスクを使う。
2,数年ごとに新たなディスクに書き換える。
という事になるわけだね。

 1についてだけれど、これもまた何をもって信頼性が高いと評価出来るかについて各人に意見があるあろうし、ここで具体的な銘柄をあげるというのも問題あろうから避けてみる。なので申し訳ないのだけれど、自分で見つけていって貰いたい。「DVD 保存性 テスト メーカー」とかでググれば各人なりの納得のいく結論にはたどり着けると思うよ。
 2については先のフォーマット問題で見たのと同じようなところはあるね。つまり各人が次々と新しいメディアにデータを書き換えてゆくという作業をめんどくさがらずに行えるかどうか。そしてそれに伴うコストを捻出し続けることが出来るかどうか、という点に帰着する。

 俯瞰すると、いずれにしてもデータは一度作成したらほっときっぱなしだといつか必ず消えてしまう、というのが事実と言えるだろうね。
 人間の側でしっかりと管理することが求められる訳だけれども、それを楽しいと感じるか、面倒と感じるかによって将来におけるデータの保存が左右されるのではないかな。
 



まとめ及び銀塩についての考察
 ここにきて「お前はフィルムがメインだろ!」というツッコミが聞こえてきそうなので、最後にこれを検討してみたいと思う。
 
 これには前提として、人間が管理するのか否かという点をまず考えなくてはならないね。
 デジタルデータに関しては当然その保存に関して人間が記録媒体を入れ替えたり、新しいフォーマットにコンバートしていったりということが前提になってるわけだ。
 こうやって適切に保存されている内は、その作業途中でミスったりしない限りは完全な状態で写真が保存されていくことになる。
 逆に言えば保存行為をする人が不在となったとき、例えば撮影者本人が保存行為を行っていたが、これが死亡したとき等には、そこから記憶媒体の劣化や機器の故障などといった問題が顕在化してくることになるわけだね。
 
 ではフィルムについてはどうよ?
 フィルムはそれが現像された瞬間から劣化が始まると考えても良いね。アナログで作成された物なので、当然その完全なコピーを作成することは不可能だし、如何に適切に管理していったとしても劣化の速度を遅めることは出来ても完全に止めることは出来ない。
 いうなればデジタルにおいて管理者の不在により初めて顕在化する物理的劣化という問題が、フィルムにおいては現像した瞬間から発生している、ということが出来るわけ。

 ではフィルムの劣化がどのくらい進行すれば写真として閲覧することが出来なくなるか?
 これは既に、かなりの年月持ちこたえる事が証明されてたりする。ライカ版のごく初期に撮影されたフィルムでさえ、適切に管理されたものを現在改めてプリントすれば高画質で作品にまで仕上げることが出来るからね。もっと昔の写真、例えば江戸時代後期の人物写真だってちゃんと写っている物を判別できるくらいだ。

 じゃぁ、こと保存ということに商店を当てた場合にはフィルムの方が有利かというと、実はそうでもない。
 たとえば10年前のネガをちゃんと保存していて、すぐに出してこられる人というのは結構稀だろう。「何処にあるのかわかんなくなっちゃった」という事態はデジタルのそれよりも遙かに起こりやすいと思われるし、他にも「かびちゃった」とか「色が変になっちゃった」とかデジタルにない問題も発生する。

そこで♪
 両者の良いところを総取りするという手段がもっとも適切な保存手段だと結論づけてこの話題を終わりにしたいと思う。
   ↓
 デジタルの人はアナログでも残そう。つまりプリントしてアルバムなどに入れ、適切に管理しよう。
 フィルムの人はデジタル化もしておこう。つまりスキャナーで読み込んで汎用性のあるフォーマットで保存、記録媒体を適時移し替えていこう。
 このようにしておけば、最悪どれか一つのデータが壊れたとしても常にバックアップによって復活させることが出来る。本当に大切な写真なら保存の手間を惜しんではいけないと思う。
 何系統もの保存方法を採用しておくこと。今の所は、これが最良の方法だと思う。



おわりに 
 なんだか一生懸命書いた割には何処にでもあるごく普通の結論にたどり着いてしまったね。
 こういった問題については本当に色々な意見が飛びかっていて、「これが決定版」という記事はないというのが正直なところといえそうだね。
 俺の描いたこの記事だって、また違った意見を持つ人にとっては言語道断の内容に映るかもしれない。
 なにはともあれ、この記事が写真の保存という問題について皆さんが考えるきっかけの一つになってくれたら、俺としては嬉しい限りかな。

 
長文・乱筆を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
 


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