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2010年7月29日木曜日

登ってはいけない?

Nikon F2 Ai Nikkor 50mm f1.4s
fuji superia 400

人は、何かを命令されるとその反応において二種に分類される。
  1. 自己がその命令に従うべきものか否かを、自らの属する社会集団のルールに従って判断する人。
  2. 命令が発せられた理由を考え、問い、筋の通った理由が見つかれば命令に従った行動をする人。


 前者の人が大多数かと思う。こういう人がたくさんいるからこそ、この社会は成り立っている。

 しかし後者についてはちと様相が異なる。
 つまり、その人は自らの合理性に照らしてそうしたいと思う行動を選択するだけだから、その行動の根本に「従う」という観念なぞそもそも存在しない。
 こういう人の場合、社会の規範に「従っている」ように見えて、実は自らの意志で無数の選択肢から自主的に行動を選びとっているに過ぎない。つまり単に命令された内容と自分がとりたいと思う行動が一致したとき、客観的に見れば社会規範に「従っている」という状態として映っているのに過ぎないと言える。 

 後者の人は自由とは何たるかを心得ている。
 しかし同時に問題も存在する。社会の規範やそこで発せられる命令が自らの思考と相容れないとき、その人はともすれば社会から逸脱し、場合によっては排除される行動を選択するかもしれない虞を秘めている。

 それでも俺は、より自由たらんとする後者の姿勢にこそ魅力を感じる。「自由」という概念は、人が培ってきた重要な財産であると考えるからだ。
 とはいえ、人が社会的集団を形成して生活するいきものである以上、それを無視して生きることもまた不可能である。
 「人は自由である」という立場を前提としながら、同時に社会とうまくやっていく方策を模索してゆくべきなのだと考えていたりする。

 さてさて、難しいね。
 本当は社会の大多数の人が後者のようになり、それでも尚且つそこで発せられる命令規範に沿って生きたくなるような社会を実現するというのがベストなのだろうけど、そんなことを実現できた社会は歴史上何処にも存在しない。
 民主主義とは元来そういう理想のもとに形成されたはずなのだが、どの社会においてもイデオロギーの名のもとに必ず少数の反対意見が切り捨てられ、なかった事にされてしまう点で、常に社会の一部に異端分子を生み出す結果となる。これは民主主義の持つ構造的な問題であると言えるだろうね。

 社会全体のシステムとしての最適化。その道のりはきっととてつもなく長いぞ。数百年、あるいはもっとかかるかもしれない。そもそも実現可能なのかすら怪しい。
 でも希望は捨てずにいよう。希望を持つこと、それもまた俺の自由なのだからね。

2010年7月27日火曜日

迷いこむなら竹の林。

Nikon F2 Ai Nikkor 28mm f2.8s
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像
 
 行ったら戻って来られない。
 
 ふと、そんな感じがした。

2010年7月25日日曜日

時の止まる夏。

cosina Bessa-R Industar-22 50mm f3.5
fuji superia 400
 久しぶりにロシアレンズの登場。インダスター22の5cmでございますよ。
 巷では「値段の割によく写る」「ただし故障とかあってもしらん」
などと色々言われているロシアレンズだけれど、俺にとっては立派なメイン機材の一つとして活躍してくれている。
 こいつは外見はライカ・エルマー5cm沈胴レンズのパクリ。3郡4枚の単純な構成であるためか透明感というか、目の前にあるものをそのままに写しだしてくれるという点ではとても重宝している。エルマー自体コンタックス用レンズであるテッサーとほぼ同型であり、テッサーの設計が1902年ということからすると、ほぼ100年も前の光学設計で作られたレンズで撮影していることになる。
 確かに現代のレンズに比べるとボケは汚いし開放は暗いし良いとこなしだが、この写りを見る限りにおいては実用上問題があるとは全く思えない←単に俺がそういう使い方しかしていないだけという話もあるがね(;´∀`)
 こう考えると、この100年で何がどう発展したのかがもう分からなくなってくるね。。。

2010年7月23日金曜日

全長1.5メートルの憎いアイツ

Nikon F2 Ai Nikkor28mm f2.8s
Kodak Tri-X D76 1:1希釈現像


人間は対象の大きさが変わってもきちんとそれが何かを認識することが出来るのだね。これは対象をその形状や大きさではなく、意味として認識しているということなのかな。
新たな発見だった。

2010年7月22日木曜日

にくきう

Nikon F2 Ai Nikkor28mm f2.8s
Kodak Tri-X D76 1:1希釈現像

こいつら、野良のくせに肉球がぷにぷにで。性格も良かったりする。
・・・もしかして関連性があるのか?

2010年7月21日水曜日

遺物へ。

Nikon F2 Nikkor ai-s50mm f1.4
kodak tri-X400 D-76 1:1希釈現像

 筆者の住む横須賀は古くから軍事拠点として重要視されてきた。山の上にあるこの公園もかつては要塞。地元の人間はいまだに「砲台山公園」と読んだりする。東京湾に侵攻してくる艦船をここから砲撃するために大砲が据え付けられていたそうな。
 大砲があるということは当然弾薬庫もなければならないわけで、この屋根はその名残なそうな。小高い丘のようになっているが、今でも地下には大きな空間が誰も入れないままに残されているはず。
 俺が小さい頃には確かまだ入り口が残っていたのだよね。その頃に一度くらい入っておけば良かったと今になって後悔してみたり。ほら、子供のやることだから、見つかってもこっぴどく叱られるだけで済むじゃない(゚∀゚)。今やっちゃったら犯罪になっちゃうからねぇ。
 年は取りたくないねぇ。

2010年7月20日火曜日

未熟者の合気道メモ。とりあえず今までに得たもののまとめ。

Olympus E-500
ZuikoDigital 14-45


力の発生及び伝達について
  • 力を入れるのではない。力を出すのだ。
  • 力の発生源は身体のどこでも良い。
  • 力の作用点もまた、身体のどこでも良い。
  • 発生した力を相手に作用させる部位まで、波として自らの体の中を伝達させる。
  • 慣れてきたらこれを円、放物線、螺旋として活用する術を研究。
  • 対象に力が伝達する過程におけるノイズを徹底して除去する。
  • そのためには膝の抜き、肩甲骨の緩み、肋骨の圧縮及び解放が肝となる。
  • 腕は肩から生えているのではなく、首のすぐ横から生えているものと認識する。
  • 関節を固定支点としたクランク運動は悪と心得よ。揺動支点こそ実現すべきものだ。
  • 絶対に体をねじったりひねったりしてはいけない。常に体全体が面のようにして動く。
  • 丹田に集中。ただし必要最低限の力と意識を注ぐだけに留める。
  • 力を対象に有効に作用させたければ、対象そのものではなくその少し上方または下方を打ちぬくが如く。

戦術面について
  • 自らの力を抜いた瞬間に相手の力も一瞬抜ける、「うつらかす」という現象をなるべく多くの人に相手してもらって研究。
  • 「先の先」を研究すべし。「技術としての無心」がこれを手助けする。
  • 相手の手や足、あるいは目を凝視してはならない。全体をぼうっと把握することを心がける。
  • 相手の力の方向をベクトルとして認識し、これに作用しねじ曲げる事を基本とするべし。ベクトルを「折る」方向に力を加えてはいけない。
  • 手のひらで敵を捉えるのは困難。腕全体、ないしは体全体を相手に絡みつかせる。
  • 無足、浮身を利用した歩法を常に研鑽。重力こそが自らにとって最大の味方であると心得る。
  • 多人数掛けの際、一人に技をかけているときには既に別の者に意識が行くように。
  • 多人数掛けの際、敵の体を利用して別の敵からの盾とする。
  • 対武器戦闘の際には、相手の武器を奪い取るのではなく、相手に持たせたままこれを利用する。
  • 刃物は自分の体に接触していても、動かさないよう固定すれば切られる事はない。

その他
  • 居付かないように。そのためには常に呼吸を続ける。息を止めると居付きやすい
  • 背骨を真っ直ぐに。かつ硬直せず、竹ひごのようにしなやかな軸を意識。
  • 常にリラックス。膝、肩甲骨、肋骨が硬直すれば力は伝達できない。

2010年7月19日月曜日

コダック賛歌


 いつもブログを見てくれている人から、オフラインにて「おみゃ〜の使っているフィルムの情報かけや(゚Д゚)ゴルァ!!」との大変ありがたい意見を頂いたので、折角だから紹介。


 はい、400TX。とどのつまりコダック・トライXの400というヤツです。写ってるヤツは100フィート缶とか長巻と呼ばれているもので、この中に100フィート(約30メートル)の生フィルムが入っているのね。それを右に写っているフィルムローダーという機械を使ってフィルムのパトローネの中に巻き込んでゆくわけ。
 この方法だと36枚撮りフィルムを1本当り100円から120円という低コストで作ることが出来る。同じフィルムのパトローネに詰められているものが3本パックで大体1200円だから1本あたり400円というのからすると、かなり安く作れるということが分かるっしょ。
 以前はフジのネオパン・プレストを使っていたのだけれど、少し前に長巻が製造中止になってしまい、悩んだ挙句「世界でこれだけ使われているのだから」と最初は無理やり自分を納得させつつ使っていた。
 ところが慣れてみると流石にベストセラーだけのことはある。プレストに比べると粒子は粗いように思えたのだけれど、それが丁度いい力強さになって表れてくる。なにより筆者のようにスキャンしてapertureでレタッチするという向きには非常に使いやすいね。レタッチ耐性が高いように思えるのだよ←ただし適正露光させたカットのみ。なんというか情報の残り具合がしっかりしているというか、シャドーなどが荒れたとしても、許せる荒れ方をするのだよね。
 もちろんプレストがダメというわけじゃない。これは単に好みの問題だと思う。プレストは端正に映るものだから、今でも人物を撮るときなどは恋しくなったりもする。
 とはいえ、そんなこんなでこのフィルムには完全に惚れてしまった。場合によってはコイツと心中だね。生産中止されたら本当に銀塩写真をやめてしまうかもしれない。


 コダックさん、俺は人にできるだけ物事を頼まないでやってくるようにしていたのだけれど、こればかりは土下座してでもお願いしたい。
 どうかトライXのフィート缶を生産中止になんてしないでください。
 

2010年7月18日日曜日

月見て跳ねる。


Cosina Bessa-R Canon 50mm f1.8
Kodak Tri-X400 1:1希釈現像

 鎌倉は明月院にて。
 晴れたとはいえ室内は暗かったのでシャッター速度は30分の1。さすがにブレたね。
 一眼レフとレンジファインダー機の一番の違いって、その保持方法だと思う。レンジファインダー機はレンズが細いからがっしりと構えられないのだよね。どうしても左手の掌がカメラ本体から浮いてしまう。
 これを防止するためにきつめにしたストラップで肩とカメラを固定、更にファイダーを眼窩に当てて確実に保持するのだけれど、それでも一瞬で狙おうとすると失敗することが多いね。
まだまだ修行が足りないなぁ。

2010年7月17日土曜日

矛盾の走水






さねさし 相武の小野に燃ゆる火の
火中に立ちて 問ひし君はも
弟橘媛命









Olympus E-500
Zuiko Digital 14-45mm f3.5-4.5

 愛する人のために海に身を投げるという行為は果たして正しかったのか。

 俺が身を投げる側なら、きっとそれも甘受する。
 俺が残される身であるなら、気が狂ってしまうだろう。


 では、どうすれば?

2010年7月15日木曜日

悪い子はいねが〜!?

Nikon F2 Ai-s50mm f1.4
Kodak Tri-X D76 1:1希釈現像

 自宅前の公園にできた遊具。どう考えてもこれを見て泣き出す子の方が多いような気がする。
 見ようによってはローマの休日で有名になった真実の口にも見えなくもない。あれば手を食いちぎられるだけだったが、こいつには体ごと喰われるということか。クワバラクワバラ。。。
 「嘘をつくのは悪いこと」とは何歳ぐらいの時に身につく概念なのだろうか。ロシアの一部地域ではこれを明確に教える文化のないまま数百年を経過した結果、嘘発見器すら騙し通す人材が大量に出現したそうで、冷戦時のスパイとして重宝がられたという話も聞く。
 ということは、善悪の判断基準は後天的なものであって教育されて初めて身につくもの、さらに言えば「善良であろうとする姿勢」は元来人間に備わっているものではないという事になる。
 性悪説とまでは言わないが、少なくとも自分や自分の子供達に如何なる教育がなされているか、なされてきたかを常に注意深く見守ってゆく態度は忘れてはいけないと思うね。

2010年7月13日火曜日

原風景 雨

Nikon F2 NIkkor Ai-s50mm f1.4
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像

 雨が好き。
 理由は知らない。

2010年7月10日土曜日

くだらない決意だが、こういうのが俺にとっては重要。

Nikon F2 Ai-s50mm f1.4
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像

 ようやく夏になり始めたね。春に生えてきた芽もだんだん大きくなった。種類も分からんけど、強く育ってくれたらそれだけで嬉しかったりする。
 四季がちゃんと存在しているというのは重要ね。冬があるからこそ春や夏が来ただけでも楽しくなるのだ。
 きっとこの夏も楽しくなるぞ♪いや、するのだ♪

2010年7月8日木曜日

仁義なき猫 「論理学的に見る神の不存在の証明」編



ねこ
「神様ってどんな存在?何をしたの?」

俺 
「世界を作ったって事になっているね」

ねこ 
「世界って何?」

俺 
「俺達を取り巻く全てのことさ」

ねこ 
「物理学の世界じゃ、11次元まで存在するってことになってるけど?」

俺 
「その11次元も作ったのさ」

ねこ 
「天文学の世界じゃ、宇宙の先には空間は存在しないって事になっているらしいね」

俺 
「うん、でも空間を形作るエネルギーが存在してる」

ねこ
「じゃぁそのエネルギーの存在も?」

俺 
「神様が作ったってことになるね」

ねこ
「そのエネルギーの向こう側、あるいは裏側には何があるの?」

俺 
「何も無いよ」

ねこ 
「じゃぁ世界ってのは正しく『全て』のことなんだね?」

俺 
「そういうことになるね。世界は『全て』だから外側はない。想定していた世界に外側が見つかったとしたら、それもやっぱり世界という概念の中に含まれてしまうからね」

ねこ
「うん、世界に外側はない。ということは、世界の外側には何者をも存在しえないってこと?」

俺 
「その通り」

ねこ 
「神様が世界を創るためには、世界がないという状態がまず存在しなければならない。でも世界には外側がないから、そんな状態は存在しえない」

俺 
「存在しないところには何者をも存在することは出来ない」

ねこ 
「ということは、神様は存在しえない」

俺 
「うん、神様は存在しない。そう断定して間違いなさそうだね。すっきりした♪」


・・・数分後・・・
俺 
「・・・こんなこと言ってたら神様のバチあたらないかな?」

ねこ 
「あたるかもね。知らんにゃ、だってオレは猫だもんにゃぁ♪」

俺 
「ズルイよ、それ(・´з`・)」

2010年7月6日火曜日

存在そのものの意義。

Nikon F2 Nikkor Ai-s50mm f1.4
Tri-X 400 D76 1:1希釈現像


「ただそこに居る」ことの重要性。
「在り続ける」ことの尊厳。


2010年7月5日月曜日

全ては過ぎ去る。

世界が、自分の部屋ですら、
自分を通りすぎていってしまうように感じたことはあるかい?
olympus XA2 Zuiko 35mm f2.8

路地裏をゆくのが大好き。
飲み屋街であれ住宅地であれ、そこには剥き出しの生活ががある。
だから例えば旅に行っても、本筋からそれて裏道ばかり歩く。
でもそうやって歩く道は、決まって何処か置き去りにされた者の哀愁に満ちている。
それがたまらなくいとおしく、どうしようもないほど悲しい。


2010年7月3日土曜日

ギンギンギラギラ夕日が落ちる〜♪


Canon FTB  
FD50mm f1.4
fuji provia 400

最近、古いフィルムをスキャンすることに妙にはまっている。
撮影当時は何気なく撮ったものでも、今になってみると新しい発見があったりするからね。
自分が死んで何十年も経ってから他の人が俺の写真を見たとき、面白いと感じられるのはもしかすると何の変哲もない街並みとか、そこに映る普通の人々なのかもしれない。

2010年7月1日木曜日

Nikon F2  ai-s50mm f1.4

根付。鎌倉で発見。
あんま売れてなかった。

実は俺、別のところで買った根付を財布につけて活用中。
キャンプ用の細いロープを編んで紐を自作、財布からたらして先端に根付をつける。
ベルトに根付を通してしまえば財布の脱落防止に最適♪
カラビナなどそれ自体に構造を持つものを使っているわけではないので、シンプルで壊れるところもない。
ぜひお試しあれ(´∀`)