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2012年1月22日日曜日

時々、思う。


Quid est veritas?

2011年7月9日土曜日

墨染の紫陽花

夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり

2010年7月27日火曜日

迷いこむなら竹の林。

Nikon F2 Ai Nikkor 28mm f2.8s
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像
 
 行ったら戻って来られない。
 
 ふと、そんな感じがした。

2010年7月18日日曜日

月見て跳ねる。


Cosina Bessa-R Canon 50mm f1.8
Kodak Tri-X400 1:1希釈現像

 鎌倉は明月院にて。
 晴れたとはいえ室内は暗かったのでシャッター速度は30分の1。さすがにブレたね。
 一眼レフとレンジファインダー機の一番の違いって、その保持方法だと思う。レンジファインダー機はレンズが細いからがっしりと構えられないのだよね。どうしても左手の掌がカメラ本体から浮いてしまう。
 これを防止するためにきつめにしたストラップで肩とカメラを固定、更にファイダーを眼窩に当てて確実に保持するのだけれど、それでも一瞬で狙おうとすると失敗することが多いね。
まだまだ修行が足りないなぁ。

2010年7月13日火曜日

原風景 雨

Nikon F2 NIkkor Ai-s50mm f1.4
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像

 雨が好き。
 理由は知らない。

2010年7月10日土曜日

くだらない決意だが、こういうのが俺にとっては重要。

Nikon F2 Ai-s50mm f1.4
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像

 ようやく夏になり始めたね。春に生えてきた芽もだんだん大きくなった。種類も分からんけど、強く育ってくれたらそれだけで嬉しかったりする。
 四季がちゃんと存在しているというのは重要ね。冬があるからこそ春や夏が来ただけでも楽しくなるのだ。
 きっとこの夏も楽しくなるぞ♪いや、するのだ♪

2010年7月6日火曜日

存在そのものの意義。

Nikon F2 Nikkor Ai-s50mm f1.4
Tri-X 400 D76 1:1希釈現像


「ただそこに居る」ことの重要性。
「在り続ける」ことの尊厳。


2010年7月1日木曜日

Nikon F2  ai-s50mm f1.4

根付。鎌倉で発見。
あんま売れてなかった。

実は俺、別のところで買った根付を財布につけて活用中。
キャンプ用の細いロープを編んで紐を自作、財布からたらして先端に根付をつける。
ベルトに根付を通してしまえば財布の脱落防止に最適♪
カラビナなどそれ自体に構造を持つものを使っているわけではないので、シンプルで壊れるところもない。
ぜひお試しあれ(´∀`)

2010年6月10日木曜日

ナルキッソス達の邂逅







われ童子の時は誇ることも童子のごとく、
おもうことも童子のごとく、
論ずることも童子のごとくなりしが、
人と成りては童子のごとくを棄てたり。

                               コリント書 第13章より


 動物に於いて、性的に成熟した個体でありながら未成熟な部分が残る状態のことをneoteny(幼態成熟) と呼ぶ。転じて社会学の領域に於いても、人間が外面の完全性と相反する不完全性を内面に抱えて生き続ける事を指して同じく幼態成熟説と呼ぶことがある。
 人間は外見の完全さに対して内面は未熟な存在として産まれ、それは解消されることなく歳を重ねる。大人と同じ体躯を持つが故、それに見合った成熟した内面を得ようとして一生もがく。
 ギリシャ神話のナルキッソスは水鏡の中に何を見たのだろう。そこには完全な、美しい人間が写っていたはずだ。
 彼は水鏡に写る完全なる存在に同化せんと水面にその身を投じる。しかし完全なる自分と一つになれたと思った途端、水鏡は破れ暗い死が彼を待つのみである。
 「完全な自分」と実際の自分は常に乖離し、いつまで経っても同一化することが出来ないとの喩えである。
 では、そもそも「完全な自分」など幻想に過ぎないとして、それを追い求める努力は無益なことであるのか。それもまた否である。
 すなわち完全たろうとする理想を捨てることは、それ以上の進歩・発展の可能性をも失う事と同義であるが、進歩や発展といった自己変革の過程こそが人を人たらしめてきたと言えようから、これを否定する事は人たるを諦めたと同義と考えるからである。
 かくて人は産まれ出でて以来、求めても決して自らのものにならないものを追い続ける事を要求され、そして約束されたようにそれを手に入れることが出来ないままに死を迎える。
 やっかいな生き物として産まれたなぁ、俺たちは。でもせっかくだから精一杯、あがいてみようか。