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2010年7月20日火曜日

未熟者の合気道メモ。とりあえず今までに得たもののまとめ。

Olympus E-500
ZuikoDigital 14-45


力の発生及び伝達について
  • 力を入れるのではない。力を出すのだ。
  • 力の発生源は身体のどこでも良い。
  • 力の作用点もまた、身体のどこでも良い。
  • 発生した力を相手に作用させる部位まで、波として自らの体の中を伝達させる。
  • 慣れてきたらこれを円、放物線、螺旋として活用する術を研究。
  • 対象に力が伝達する過程におけるノイズを徹底して除去する。
  • そのためには膝の抜き、肩甲骨の緩み、肋骨の圧縮及び解放が肝となる。
  • 腕は肩から生えているのではなく、首のすぐ横から生えているものと認識する。
  • 関節を固定支点としたクランク運動は悪と心得よ。揺動支点こそ実現すべきものだ。
  • 絶対に体をねじったりひねったりしてはいけない。常に体全体が面のようにして動く。
  • 丹田に集中。ただし必要最低限の力と意識を注ぐだけに留める。
  • 力を対象に有効に作用させたければ、対象そのものではなくその少し上方または下方を打ちぬくが如く。

戦術面について
  • 自らの力を抜いた瞬間に相手の力も一瞬抜ける、「うつらかす」という現象をなるべく多くの人に相手してもらって研究。
  • 「先の先」を研究すべし。「技術としての無心」がこれを手助けする。
  • 相手の手や足、あるいは目を凝視してはならない。全体をぼうっと把握することを心がける。
  • 相手の力の方向をベクトルとして認識し、これに作用しねじ曲げる事を基本とするべし。ベクトルを「折る」方向に力を加えてはいけない。
  • 手のひらで敵を捉えるのは困難。腕全体、ないしは体全体を相手に絡みつかせる。
  • 無足、浮身を利用した歩法を常に研鑽。重力こそが自らにとって最大の味方であると心得る。
  • 多人数掛けの際、一人に技をかけているときには既に別の者に意識が行くように。
  • 多人数掛けの際、敵の体を利用して別の敵からの盾とする。
  • 対武器戦闘の際には、相手の武器を奪い取るのではなく、相手に持たせたままこれを利用する。
  • 刃物は自分の体に接触していても、動かさないよう固定すれば切られる事はない。

その他
  • 居付かないように。そのためには常に呼吸を続ける。息を止めると居付きやすい
  • 背骨を真っ直ぐに。かつ硬直せず、竹ひごのようにしなやかな軸を意識。
  • 常にリラックス。膝、肩甲骨、肋骨が硬直すれば力は伝達できない。

2010年6月20日日曜日

無心という技術。

olympus E-500
Zuiko Disital 14-45mm 


 筆者は合気道という若干マイナー(?)な武道をやっているわけだが。今日は仲間の演武会を見に行ってふと思った事など。


 今日「武道」と呼ばれる一群の競技は、そう呼ばれる以前の戦闘技術、つまり剣術や柔術といった「武術」に端を発する。
 「武術」とは、要するに戦場を如何にして生き残ってくるかという、ただそれだけの事を何百年もかけて徹底追求し続けたところから生まれた技術群だ。
 そして各流派は「生き残る」という目的達成のための最も確実な手段として、「敵対勢力の完全な無力化」を追求した。

 そのような時代においても、やはり精神性というものは尊ばれていたようだ。例えば多くの剣術家は「無心」という精神状態を大切にした。

 とはいえこれは現代の武道において尊ばれる精神性とは、ちと意味が異なるようにも思う。
 たとえば「先の先」という概念があるが、これを実現するためにはそれこそ頭を空っぽにして(=無心になって)、相手が攻撃意志を持った瞬間にこれを感じ取り入身してゆかねばならない。
 とどのつまり、ここでは無心という精神状態を「勝つための技術」として利用しているわけだ。

 筆者は合気道とは別にエアライフルによる射撃競技もやっているわけだが、ここでも形を変えて「無心」というものが重視されるように感じる。
 「俺は三脚、銃を支えるための三脚。」「音が聞こえてくるけど、俺には関係ない。俺は機械。」と自分に言い聞かせ、そして言い聞かせたことも含めた外界の全てを忘れることで初めて思ったところに弾が飛んでいく。
 ここでもやはり「頭からっぽ」状態を「当てるための技術」として使っている。

 いずれにしろ、「無心」は「勝つため」に必要な精神的技術であるように感じる。
 
 さて、今は平和な時代だ。「勝つため」という目的でこういう精神的な技術ははっきりいって必要ないかもしれない。皆が皆何かしらの競技をやっているわけでもないしね。
 とはいえ純粋な技術体系でしかなかった「武術」が、精神性を重んじる「武道」に変遷したことでより多くの人に親しまれ、それと同時に上記のような精神技術をも広めることが出来るならば、あるいは武術とは異なったもっと別の場所でも役立つかもしれない。
 たとえそれが生活の中にある何気ない所作であったり、あるいは普段の仕事の中でふと出てくるものであっても良い。
 そういった領域においても「無心」に代表される精神的技術の利用可能性を広めたという点で、「武術」から「武道」への変遷はとても重要であり、また偉大な転換であったと思うのだ。