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2010年6月20日日曜日

無心という技術。

olympus E-500
Zuiko Disital 14-45mm 


 筆者は合気道という若干マイナー(?)な武道をやっているわけだが。今日は仲間の演武会を見に行ってふと思った事など。


 今日「武道」と呼ばれる一群の競技は、そう呼ばれる以前の戦闘技術、つまり剣術や柔術といった「武術」に端を発する。
 「武術」とは、要するに戦場を如何にして生き残ってくるかという、ただそれだけの事を何百年もかけて徹底追求し続けたところから生まれた技術群だ。
 そして各流派は「生き残る」という目的達成のための最も確実な手段として、「敵対勢力の完全な無力化」を追求した。

 そのような時代においても、やはり精神性というものは尊ばれていたようだ。例えば多くの剣術家は「無心」という精神状態を大切にした。

 とはいえこれは現代の武道において尊ばれる精神性とは、ちと意味が異なるようにも思う。
 たとえば「先の先」という概念があるが、これを実現するためにはそれこそ頭を空っぽにして(=無心になって)、相手が攻撃意志を持った瞬間にこれを感じ取り入身してゆかねばならない。
 とどのつまり、ここでは無心という精神状態を「勝つための技術」として利用しているわけだ。

 筆者は合気道とは別にエアライフルによる射撃競技もやっているわけだが、ここでも形を変えて「無心」というものが重視されるように感じる。
 「俺は三脚、銃を支えるための三脚。」「音が聞こえてくるけど、俺には関係ない。俺は機械。」と自分に言い聞かせ、そして言い聞かせたことも含めた外界の全てを忘れることで初めて思ったところに弾が飛んでいく。
 ここでもやはり「頭からっぽ」状態を「当てるための技術」として使っている。

 いずれにしろ、「無心」は「勝つため」に必要な精神的技術であるように感じる。
 
 さて、今は平和な時代だ。「勝つため」という目的でこういう精神的な技術ははっきりいって必要ないかもしれない。皆が皆何かしらの競技をやっているわけでもないしね。
 とはいえ純粋な技術体系でしかなかった「武術」が、精神性を重んじる「武道」に変遷したことでより多くの人に親しまれ、それと同時に上記のような精神技術をも広めることが出来るならば、あるいは武術とは異なったもっと別の場所でも役立つかもしれない。
 たとえそれが生活の中にある何気ない所作であったり、あるいは普段の仕事の中でふと出てくるものであっても良い。
 そういった領域においても「無心」に代表される精神的技術の利用可能性を広めたという点で、「武術」から「武道」への変遷はとても重要であり、また偉大な転換であったと思うのだ。


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