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2010年9月1日水曜日

人間ってスゲ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━!!!!

昨今流行りの「食べるラー油」なるものを作ってみたくなった。
その材料となるフライドオニオンを作るために慣れないスライサーを使ったのが間違い。ご覧のようにスパッといってしまった。。。
6時間、出血。
で、どうしようもなくなって病院へGo。写真は負傷より一日経った時のもの。

そしてこれが一週間後。
傷ってこんなに早くふさがるものなのね。
正直、ここまで早く回復するってことの方が怖いわ。。。。(´Д`) 

皆さんも料理の際には気をつけてください。

2010年8月19日木曜日

(改めて)深さ無制限の世界へのお誘い(´Д`)

Nikon F2 ai Nikkor 50mm f1.4s
Kodak Tri-X400 D76 1:1希釈現像

 カラスってのは仲間意識が強いらしく、仲間の死体が吊るされているところを避ける傾向にある。これは「仲間がやられた→次は自分かも」という認識が働くからと考えるのが一番自然と言えるだろう。
 実に理性的な判断であると思う。

 一方で、フランス革命の時代から人間の本質は理性だと一応は説明されてきたわけだけれど、頭に血が登って後先考える事無く違法行為に走る輩の多さや、自殺願望を持つ者の多さからするとそれについても懐疑的にならざるを得ないね。そもそも自己保存欲求は生物として最も基本的な要素のはずなのに、なぜそれに逆らう行動を自ら好き好んでとろうとするのか。

 そう疑問を持った人たちもたくさんいたのだろう。20世紀に入ってからの構造主義者たちは「人間の本質は自然界からのズレだ」「人間の本質は混沌だ」と主張してきた。フロイトもまた「人間はホモ・サピエンス(理性の人)ではなく、ホモ・デメンス(錯乱せる人)だ」と主張する。だからこそ人間は本来であれば到底選択し得ないような愚かな行動をとってしまうのだ、と。
 
 こっちの説の方が遥かに説得力があるように感じる。
  理性と混沌の双方をその内部に持つ存在。「自己矛盾を持った存在」こそが人間の定義だとするならば、その自己矛盾は人間が人間である限りずっと解決できないままついてまわる。
 
 やれやれ。俺達は実に奇妙な生き物として生まれたな。
 でも折角だからこの状況、俺は出来る限り考え、行動し、楽しんでみようかと思う。
 モニターの前のあなたもご一緒に如何ですか?

2010年8月17日火曜日

人の記憶と解像度


たくさん食べて、たくさん夢を見る。なんと平和な生き物だ。
はぅ、やはり猫に産まれてくるべきだったか←選べたのか?それf(^ー^;

能書きはこれくらいにして写真について。
コイツら全く動かないので同じ構図で何枚も撮影できたのだけれど、一番ピントの合っていないこの写真が一番イメージ通りだった。
いままで俺は解像度命なところがあって、カメラやレンズ或いは作例を選ぶ際にも「如何に細かいところまで、かつ四隅まで精密に描写できるか?」という点を重要視していたのだよね。
ところがこの写真、まったくピントは合っていないし絞りも開けすぎてボケボケ。本来なら失敗に属するものであるにも関わらず、当初予期していたイメージ以上にこの子らの普段の様子を描写してくれている。
作品としてダメダメだろうと、他の人がなんと言おうと、俺はこの写真が好き。

バロック期の絵画などは精密描写が信条という部分が大きいけれど、それが時を経て近代、特に印象派になると全体にぼやっとした作風になる。高校生の頃に俺はそれを見て「劣化だ」としか感じなかったのだけれど、今になるとむしろそういった画像の方が頭の中のイメージに近い(俺にとっては)と言うことを実感として認識してきた。
人間である以上、視覚から受けとった情報は主観というフィルターを通して変化することが避けられないわけで、良きにしろ悪きにしろその人にとって都合の良い事実にねじ曲げられて記憶される。
あとはそれを如何に表現するか?というスタンスの問題で、精密描写のように「事実を記録し、見た者が各々で主観を形成しろ」とするか、印象派のように「自分の主観において変容した情報こそが自分にとっての真実なのだから、それを他者にも提示するべきだ」とするかなのだろうね。
写真というのは被写体が存在し、それを光学的にとらえ化学的にフィルムに焼き付ける手段であるから、本来であれば後者のような表現には向かないものである筈なのだけれど、偶然にこういった写真も撮れる。
「偶然性」という、絵画には存在しにくい要素をかますことにより、奇しくも近代絵画に見られる作風と類似の効果を得られるということか。

こういう写真も好みの内に入ってきたからといって狙って撮れるというものでもないし、自分の撮影スタンスを変えるつもりも毛頭無いけど、新たな価値観を得る事が出来、またこういったことを考える機会が持てたというのはとても貴重なことだなと感じる。
これからも色々な発見をしていきたいねぇ♪