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2010年8月17日火曜日

人の記憶と解像度


たくさん食べて、たくさん夢を見る。なんと平和な生き物だ。
はぅ、やはり猫に産まれてくるべきだったか←選べたのか?それf(^ー^;

能書きはこれくらいにして写真について。
コイツら全く動かないので同じ構図で何枚も撮影できたのだけれど、一番ピントの合っていないこの写真が一番イメージ通りだった。
いままで俺は解像度命なところがあって、カメラやレンズ或いは作例を選ぶ際にも「如何に細かいところまで、かつ四隅まで精密に描写できるか?」という点を重要視していたのだよね。
ところがこの写真、まったくピントは合っていないし絞りも開けすぎてボケボケ。本来なら失敗に属するものであるにも関わらず、当初予期していたイメージ以上にこの子らの普段の様子を描写してくれている。
作品としてダメダメだろうと、他の人がなんと言おうと、俺はこの写真が好き。

バロック期の絵画などは精密描写が信条という部分が大きいけれど、それが時を経て近代、特に印象派になると全体にぼやっとした作風になる。高校生の頃に俺はそれを見て「劣化だ」としか感じなかったのだけれど、今になるとむしろそういった画像の方が頭の中のイメージに近い(俺にとっては)と言うことを実感として認識してきた。
人間である以上、視覚から受けとった情報は主観というフィルターを通して変化することが避けられないわけで、良きにしろ悪きにしろその人にとって都合の良い事実にねじ曲げられて記憶される。
あとはそれを如何に表現するか?というスタンスの問題で、精密描写のように「事実を記録し、見た者が各々で主観を形成しろ」とするか、印象派のように「自分の主観において変容した情報こそが自分にとっての真実なのだから、それを他者にも提示するべきだ」とするかなのだろうね。
写真というのは被写体が存在し、それを光学的にとらえ化学的にフィルムに焼き付ける手段であるから、本来であれば後者のような表現には向かないものである筈なのだけれど、偶然にこういった写真も撮れる。
「偶然性」という、絵画には存在しにくい要素をかますことにより、奇しくも近代絵画に見られる作風と類似の効果を得られるということか。

こういう写真も好みの内に入ってきたからといって狙って撮れるというものでもないし、自分の撮影スタンスを変えるつもりも毛頭無いけど、新たな価値観を得る事が出来、またこういったことを考える機会が持てたというのはとても貴重なことだなと感じる。
これからも色々な発見をしていきたいねぇ♪

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