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2010年8月3日火曜日

蟻から人間まで

Olympus E-500
Zuiko Digital 14-45

 蟻というのは社会的生物。つまり集団で行動し、群れ全体における成功を目指す。
 このような生物においては各個体の個性や行動は単に群れ全体における功績の礎のひとつとしか評価されず、仮に同様の行動をする他の個体が存在するならばいくらでも代替が効く。
 「産めよ育てよ」で群れの規模が大きくなればなるほど、そこにはより多彩な個性を持つ個体の存在可能性も高くなるわけで、その分群れ全体としての発展可能性も高くなる。
 とどのつまり、こういった生物においては群れそのものがひとつの生物として認識されるべきで、「個体」というのは群れを形成する数のひとつに過ぎない。ある個体が死んだとしても、いうなればそれは身体の細胞の一つが死滅したと同程度の意味をしか成さないことになる。

 人間もまた社会的生物のはしくれである。
 とすれば巷でよく言われる「個性」やら「自主性」やらも、結局はその人が属する社会、もっと言えば人類全体の発展性に寄与するコマのひとつに過ぎないと考えるほうが遥かにスマートだ。
 また社会はそこに住まう者たちに夢を与えることで、その思考を統制し全体としての発展に寄与する方向に導く。「パイロットになりたい♪」「看護士さんが夢です♪」などという子供たちの無垢な夢も、結局はそうやって形作られる。仮に社会的に容認できないような変な夢を持つ子が現れたとして、それもまた「社会全体の可能性を広げる」ための布石の一つとして評価されることになる。
 これをより直接的に言い放ったのが社会主義。資本を持ち出して「金を増やせよ」という方向付けで「全体としての発展」という真の目的を覆い隠したのが資本主義という穿った見方もできる。

 さて、どうだろう。これではあまりに残酷ではないか。正直、唾棄すべき見解だと思う。
 だから俺はこれを否定し、脱出しようともがいた時期もあったのだけれど、いまだに良い方法が見つからないでいる。
 「視点を変えればいい。世界は見方によってなんとでも変わるのだから、自分を中心に考えれば全て氷解する」という人もいる。傾聴に値する。しかしこれすらまた、社会がその目的に疑問を持たせないように予め用意した「物語」の一つであるという見方もできるのだ。

 困ったね。本当に困った。どう考えていけばよいのだろう。。。

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